航空公園の史跡

《①滑走路跡》※(現)沈床茶園

■滑走路をイメージして作られました。

■所沢飛行場開設当初の滑走路はこの場所にあったと言われています。

《②少年航空兵像》

■昭和18年陸軍航空整備学校内に建てられました。

■航空・通信・整備の3者協力を象徴したものです。

■空にあこがれる少年兵3人が翼を抱いて空を見上げる構図が象徴的な像です。

■損傷が激しかったもの(左)を平成17年に補修して現在(右)に至っています。

《③クラブパーキングロッド》

■アメリカ軍基地時代の名残です。

■クラブの駐車場があった場所と言われています。

《④》木村・徳田中尉像

■日本で最初の飛行機事故の犠牲者(木村鈴四郎中尉・徳田金一中尉)の慰霊碑です。

■大正2年3月28日、両中尉の乗るプレリオ機が所沢飛行場上空1500mで突風にあおられ左の翼を破壊、両中尉は飛行機もろとも墜落、殉職しました。

■この像は、墜落地点→所沢駅前→西武園前→自衛隊入間基地→航空記念公園と移転を繰り返し現在に至っています。

《⑤》バスケット場跡

■アメリカ軍基地時代にバスケット場として使われていた場所です。

■当時のバスケットの柱の跡が残っています。

■バスケットコート奥のテニスコート脇に続く階段も当時のものです。

■同じような「黄色い手すりの階段」が園内にいくつかあるので、散策のかたわらに探してみてはいかがでしょうか。

《⑥》防空壕跡

■アメリカ軍基地時代の名残です。

■日本陸軍が使っていた「倉庫」を利用して「防空壕」にしたものです。

■戦争が終わってからの防空壕。アメリカ軍はどこの国の飛行機が攻めてくると考えていたのでしょうか?

《⑦フォール大佐像》

■第一次大戦終結の1919(大正8)年、J・P・フォール陸軍大佐率いる41名からなるフランス航空教育団が来日しました。

■所沢飛行場に約1年7ヶ月滞在し、当時まだヨチヨチ歩きだった日本の航空の基礎確立に大きく貢献しました。

■滞在中には日本陸軍士官だけでなく、所沢市民と深い交流を持ったと言われています。

《⑧大正天皇駐輦碑》

■1912(大正元)年11月、所沢飛行場ができて間もない頃、所沢・川越地方で「陸軍軍事特別大演習」が行われました。

■その際、大正天皇が当地を激励に訪れたのを記念して飛行場内に建てられたものです。

■「駐輦碑」は「ちゅうれんひ」と読みます。